Blue Rat Web代表+編集長Ryotaのプロフィール

当ブログ編集長「Ryota」のプロフィール

  • Ryota (涼太)
  • 1984年12月3日生まれ
  • 岐阜県岐阜市
  • 音大を卒業後、4度の転職を繰り返しパラレルワーカースタイルで生計を立てる

2歳から私はずっと自分の感情を出すのが苦手だった。

祖父から迫害され、

幼稚園からいじめの対象となり、

最初の仕事で倒れ、

7年間付き合った彼女から「別の男と寝たの」という電話と共に婚約破棄を宣言された。

 

人と関わるくらいなら一人で生きていく。強がって生きてきた。

 

幼い頃から人と馴染めなかった

私の人生の記憶は2歳から始まる。

祖父から受けた差別的な迫害。箸も持てない時期に私だけ使うことを強要され、できないと叩かれる。嫌なことがあればストレスの発散として怒鳴られる。

 

親は見てみぬふり。

 

幼稚園でもいじめに合い、小学校1年で登校拒否。同時に胆のう炎を発症。3年生の頃には肺炎。この頃から「何だか辛いな。」と感じ始めた。

 

高校は「総合学科」という大学のような単位制の学校。しかし、体育系の男子が強い校風で大人しい男子がいじめの対象となった。悪口はもちろん、ロッカーの中を荒らされたこともある。

 

そんな私にも彼女が出来た。辛かった高校時代だが「音楽」が生きがいだった。一緒に音楽活動をしていた後輩が私のことを好きになってくれた。大学1年の時に彼女と付き合った。

最初の仕事と婚約破棄

名古屋の音大に入り勉強に明け暮れた。私は音楽の基礎を学んでおらず、音楽のサラブレッドたちの集う音大では一番下。朝7時から夜9時まで勉強の日々が続いた。

卒業後、華やかな仕事に憧れ「結婚式場のプロカメラマン」になった。

 

初日から教えられたこともない「カフェ」の仕事を任され、客に「出すのが遅い」と怒鳴られた。朝は6時半出社。帰宅は0時。休憩時間は昼ごはんを食べる20分間だけ。

朦朧とした私はミスの回数が増えた。しかし、私は自分の意見が出せない。色んな人から嫌われてきたから、人から嫌われることが怖いためだ。

誰もが忙しいため「教育制度」が無い。やったことの無い仕事でミスをして叱られた。なぜミスをしたか自分で考えろと言われた。分かるはずがない。

 

 

激務が続いたある日。

 

体中に発疹ができて倒れた。うつ病も発症し、1ヶ月の療養が宣告される。私は会社を辞めた。

でも私は働かなければならなかった。支えてくれていた彼女と結婚したかったからだ。次は病院設立をする会社の企画部に入ったのに営業担当になり辞めた。さすがに仕事に対し不安が大きくなり、色んな仕事を経験することにする。カルビーでポテトチップスも作った。

そうして近場の小さな工場に勤めることになり2年後。

 

私は彼女と結婚することになった。彼女の誕生日・・・8月のことだった。

 

2人でオシャレな結婚式場を選び、ウェディングプランナーと打ち合わせをする。何気ないことが楽しかった。そして翌年の1月4日。私たちは結婚指輪を買う予定だった。

前日の夜電話がなる。今でも覚えている。なぜか胸騒ぎがした。滅多に電話をしない彼女からだった。電話に出ると「指輪を買いにいけない。」と言う。さらに詳しく聞く。すると

 

「もっと好きな人ができたの。もうその男と寝たの。」

 

こんな発言、ドラマのワンシーンだけだと思っていた。私の唯一の支えであり、幸せの象徴だった彼女からの裏切りだった。

関連記事:婚約破棄を経験して人生観から夢まで、全てが変わった話

 

人生で一番泣いた。祖父から叩かれた時も、母親や父親に腕を引っ張られて学校に連れて行かれた時もそんなに泣かなかった。嗚咽を出して泣いた。1夜で体重が5キロ落ちた。

 

パラレルワーカーへの決断

婚約破棄後、本気で死のうとして七輪と木炭を買った。車内で燃やした。でも、悔しくて・・・彼女への恨みもあったけど、自分がこの世に何も残せなくて死ぬのが悔しくて途中で止めた。

 

どうせ死ぬなら何でも挑戦してやろう。と思った。

 

まず、自分の心境を高校時代から書いていた日記的なブログに書いた。毎日のように書いた。死にたいことも、死ねないことも書いた。

自分の興味を持ったものを全て実践することにした。格好を付けてバーにも通ったし、彼女の思い出が染み付いているもの全てを捨てた。

 

そんなある日。バーに見知らぬ男性が来た。彼は私に話しかけた。

「Ryotaさんですか?」

と。彼は私のブログを辿って私に話しに来てくれた。別の日、別の男性も全く同じ流れで話しかけてきた。

 

始めてだった。自分のために誰かがわざわざ足を運んで遠くから来てくれるなんて。いつも話を聞くだけだった私の話を聞いてくれる人が居るなんて。

 

それから私は大学時代から続けていた音楽活動とブログ活動に必死になった。不思議なことに、自分をさらけ出してから友人が増えた。年齢問わず、全国から私に会いに来てくれる人が居た。

ブログも順調に伸び始め、7つのブログで月に55万PVという成果を達成した。何も考えずガムシャラに書いてきたが、どうやらこれは誇れることらしい。

同じように婚約破棄で悩んでいる人のためのブログも作った。(Live today)

心から好きになった人ができて結婚した。子供もできた。色んなことがあったが、私は今幸せだ。

 

このブログ(今後、メディア化する予定なので他記事ではメディアに統一する。)は、30歳前後の男性向けに人生を楽しむ方法を届けたいという願いがある。

お金や恋愛、ファッション。

色んな人が色んなことに悩んでいると思う。

私がブログを通じて人に助けられたように、ブログを通じて人を助けていきたい。

更新日:

Copyright© Blue Rat Web , 2019 All Rights Reserved.